常若と動的平衡

あけましておめでとうございます。

年末年始はどっぷり読書してまして完全にブログさぼっておりました。

ので罪滅ぼしに、ちょっと長めの、あんまり面白くない話。

僕はマネジメントにおいて、「常若」(とこわか)という言葉をキーワードにしています。

とはいえ、「常若」という言葉をはじめて知ったという人もいるのではないでしょうか。

常夏のハワイの常夏なら聞いたことあるけれど、常若という言葉なんて聞いたことがない、という方がほとんどかもしれません。

もちろん僕の造語ではありません。

大辞林によると「常若」とは【いつも若々しいさま。いつまでも若いさま。 】と記載されています。そのままですね。

でも、ここでいう常若という言葉にはもっと深い意味があります。

少し脱線しますが、

世界最古の木造建築物といえば奈良の法隆寺ですね。およそ1400年前に建てられたとされています。

それに対して、日本古来の宗教である、神道の大本の伊勢神宮の内宮というのは築何年かご存知でしょうか。

実は、平成30年10月で築5年です。誤植ではありません。

どういうことかというと、伊勢神宮の内宮というのは、式年遷宮といって20年ごとに建て替えられます。

正確には、二箇所の宮地があって、交互に社殿を新たに建て、20年ごとに神様に移動していただきます。

前回の式年遷宮は平成25年に行われたので、今の内宮は築5年ということになるのです。

しかし、この式年遷宮というシステムによって、我々は古来からの、まさに我々のご先祖様が参ってきたままの姿の伊勢神宮にお参りすることができます。

伊勢神宮のWebサイトによると(式年遷宮が)「20年ごとに行われてきたことが、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に伝えることができ、今でもいつでも新しく、いつまでも変わらない姿を望むことができます。これにより神と人、そして国家に永遠を目指したと考えられます。」とされています。

庶民の住宅でさえ優に築50年もつ時代に、たった20年で建て替え続けることは、一見非常に非効率に見えます。

しかし、20年に一度、40年に二度、60年に三度、建て替えれることで世代間での仕来りや、技術の伝承を確実に行うのです。さらには、この伝承の中で、そこに宿る精神そのものを伝承していきます。

そして、まさにこの常に新しいものに建て替えながらそこに宿る精神を伝承していく、あり方こそが、「常若」なのです。

http://www.isejingu.or.jp/sp/sengu/index.html

式年遷宮の説明を長々としたことで、常若というあり方についてなんとなく理解してもらえたかとは思いますが、さらに理解を進めてもらうためのお話を一つだけします。

全く関係ないようですが、「生き物とは動的平衡だ」という話についてです。

生き物とは動的平衡である、と喝破した福岡伸一先生の本がベストセラーになったのはまだ記憶に新しいと思います。

 

ここでいう動的平衡とは何かということからまた難しいのですが、

「化学反応が停止した状態にあるのではなく,正方向と逆方向の反応速度が等しくなったため,見かけ上は反応が停止したように見えること。すなわち,平衡は外見上静的に見えるが,実際は動的状態にあると考える。」とされています。

もっとわかりやすくいうと、下のエスカレーターを逆走して上に走っていると、遠くからは止まっているように見えても、実はエスカレーターも人も動いてる、というイメージです。

実は生命を形作っている細胞の中でも、この動的平衡状態があって、細胞は、自ら新しい細胞と入れ替わるために壊れていくという作用を常に行っているそうです。人間であれば、1年たてば、1年前に自分を形作っていた細胞は全く存在しなくなる、でも自分はここにいる。これが生命とは動的平衡だという話です。

(ドーキンス博士の「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」という言葉は最近色んなところで引用されていますが、この動的平衡の文脈から読むと腹落ちするのではないでしょうか。)

ところで、この生物の本質は動的平衡だ、という話は、まさに「常若というあり方」そのものではないでしょうか。

事業も、組織も最終的にはそこにいる人の営みです。そして、人の営みを追求していけば、生きるとは何か、死ぬとは何かに行き当たります。

生命論とマネジメント論は、無関係ではあり得ません。

そして、この日本古来のあり方としての常若思想と、生命論としての動的平衡がしっかりと交わっているということは憶えておいていいと思います。

で、それがどうした、という話ですが、長くなったので今日はここまで。

今さら西田幾太郎に興味ある人はあんまりいないのかもしれないけれど、哲学界隈の人間としては、西田哲学がいったい何を言っているのかを理解するというのは優先順位の高い課題で、そしてこの本は、結局のところ西田哲学は動的平衡の話だという、切り口で、なかなか面白かったので、シェアします。
もちろん哲学になんの興味もない人には全く進めません。生活の役には全く立ちません。

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