最近、満州国についての研究している中で、
戦前の、「徳育」というものに興味を持ち始めています。
経営者なら誰しも、
己の不徳を省みて、
不甲斐なさを感じたことが一度や二度は必ずあると思うのですが、
では、この徳というのは、育むことができるのか、
というのが関心のあるテーマです。
教育を、知育、体育、徳育に分けるとすると、江戸時代の支配階級ではほぼ徳育しかなかったと言われており、
少なくともある時期までは、徳というのは鍛えることができるものである、というのがわが国の共通了解でした。
それでは、この徳育において、
徳とはどのようなもので、
それはどのように身につけるべきものとされていたのでしょうか。
僕が勉強したところを
誤解を恐れずに、枝葉を刈り取りまくってシンプルに提示すると、
「七情」を「中庸」に沿うように制御し、物事に対する「静虚動直」を身につけ、「九徳」を獲得することを目指す。
ということになりそうです。
(結構勉強したぜ。脳に汗かいたぜ。)
まず、制御しなければならない「七情」とは何か。
これは、喜・怒・哀・懼(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲
の7つの感情を指します。
もちろん、無感情な人間になれということではありません。
日本史上、最も徳の高かった人の一人であろう西郷隆盛は、
圧倒的に感情量の多い人であったらしく、
色んなシーンで大泣きしたりして、感情を爆発させる人でした。
大切なことは、この七情を殺すのではなく、中庸に沿って制御することです。
では、中庸とは何か。
これは非常に難しい概念なのですが、
世の中から後ろ指を指されないような在り方、あるいは、筋目の通った在り方、といった意味で理解するのがいいと思っています。
つまり、七情があるのは大いに結構なのだけれど、
それを筋目の通った在り方で制御しなさい、
ということですね。
そうすると、静虚動直の感覚を得られるようになります。
静虚動直もまた難しいのですが、
ざっくり言うと、
物事に対して、心静かに、意識を無にして、素直に向き合う、という感じです。スポーツでいう、zoneに入ってるような感じというとわかりやすいかもしれない。
七情を筋目に沿って制御して、zoneに入って九徳を目指す、
その九徳とは何でしょうか。
これは、
①寛にして栗(寛大だが、しまりがある)
②柔にして立(柔和だが、処理能力が高い)
③愿にして恭(まじめだが、物腰柔らかい)
④乱にして敬(事を治める能力があるが、慎しみ深い)
⑤擾にして毅(物静かだが、芯がしっかりしている)
⑥直にして温(率直だが、温和)
⑦簡にして、廉(大まかだが、きめ細かい)
⑧剛にして塞(剛健だが、内面もしっかりしている)
⑨彊にして義(豪勇だが、義理がたい)
の九つの徳を意味します。
一見すると矛盾するような2つの長所を平衡させる力であるところに特徴がありますよね。
メリハリがあるというか、
やるときはやる、
遊ぶところは遊ぶ
体操選手の、躍動感のある動きからの、
ビタッとした着地
のようなイメージを僕は持ちました。
七情を中庸に沿って制御していく中で、こういう徳目に到達できるんだというのも感覚としてよくわかる気がします。
そうするとキーワードは、「制御」かもしれません。
感情量は多く、溢れ出すぐらいの感動を胸にしながらも、
制御する
このことを心がけたいと思っています。
以上、研究現場からのリポートでした。
近思録〈上〉 (タチバナ教養文庫)
1,027円
Amazon
|
大学・中庸 (岩波文庫)
Amazon
|
渋沢栄一 徳育と実業
3,000円
Amazon
|
[新版]指導者の帝王学
1,296円
Amazon
|
論語の読み方―いま活かすべきこの人間知の宝庫 (ノン・ポシェット)
596円
Amazon
|