発災から1週間の壁を越え、余震も落ち着きだしたので。
平成30年6月18日の朝7時58分に起きた地震、僕の住む茨木では震度6弱であったこの地震の際に、
僕の所属する茨木青年会議所がどういう行動をとったのかを、
後に続くであろう後輩達と、
この地震列島でまちづくりを続ける全国の同志の何らかの参考になることを祈って、
備忘録として残したいと思う。
ちなみに茨木JCには60名ほどのメンバーが在籍しています。
まず、6月18日の朝、地震発生。
電話は不通であったがネットは使える状態だったので、
執行部から各委員長に委員会メンバーの安否確認を要請。委員長から反応がないところについては副理事長が委員会メンバーの安否確認。
安否確認できないメンバーについては、執行部で自宅や事業者を訪問し、安否確認。全員の安全を確認完了。
ここまでで発災から3時間経過。
この時点では、さらなる大きな揺れが来る可能性がかなりあるため、安全確保を最優先するように全メンバーに指示。
執行部は、17時に一度集合して今後の対策を協議することとする。
17時までの間はメンバー全員が加入するLINEグループ上にてそれぞれの被害状況を報告して状況把握。茨木では死者もでたことがニュースで確認される。
なお、電話は昼前につながるように。
17時からの会議には理事長、専務、副理事長2名参加(市議会議員の副理事長と造園土木の副理事長は、現場対応のために欠席。)
会議では、市役所や、他のボランティア団体と連携して情報共有しながら、青年会議所にしかできないことを中心に人員を投入する方向を決定。
今後近隣L O Mに支援物資を要請した場合の受け入れ先確保を課題としてあげる。(その後、一人の副理事長の事業所の好意で受け入れ場所とJCとしての対策本部を確保。JC事務局は市役所至近だが駐車場がなくまたビルの4階のために物資の受け入れ困難との事情あり。)
早速市役所との情報共有のために執行部で市役所に向かい、危機管理課と協議。危機管理課もまだ被災者支援体制を整えきれていない状況のため、ボランティアセンターが立ち上がるまでは自主行動することに。
市役所の前では備蓄ブルーシートを屋根損壊対応として市民に配布していたが、ブルーシートをもらっても持って帰れない高齢者の市民が多数いたため、車を出せるメンバーが運搬する。(この場合の事故対応などのリスクについて協議し、あくまでも有志として補助することに。)
この他、メンバーの中には交通機関麻痺のための帰宅困難者を車で搬送しようとした者もいた。
ブルーシート運搬は午後10時にて終了。
翌日は午前8時にJCの対策本部にメンバーの中で動ける者は集合することに。
なおJC事務局の被害状況は棚から落ちた書類や記念品などが散乱している程度だった。もちろん事務局員には当分出勤に及ばないことを連絡。
★振り返れば、この時点でもっと迅速に支援物資の要請を大阪ブロックに行えればよかったが、
①何が必要な物資かを把握することの困難性
→今回でいえば茨木は電気と水道はほぼ途切れなかったため、水よりもガスコンロや、ブルーシート、土嚢袋、何より屋根の上にブルーシートをかけれる人材と、資材や学生ボランティアを運搬する車両が必要であったが、この時点では被害状況が刻々と変化しており、把握は容易ではなかった。
②受け入れ場所の確保の困難性
→今回でいえばたまたまある副理事長の事業所が好意で支援物資の受け入れ先となることを了承してくれたことで事なきを得たが、それでも調整に時間を要した。また受け入れ先の確保については、単に受け入れ先を確保するだけでなく、いつくるかわからない支援物資をいつでも受領できるようにメンバーを張りつけておく必要がある。
の2点が立ちはだかり、困難であった。
(初動の立ち遅れ問題に関しては、地震災害発生の際にはいつも指摘される点ではあるが、当事者になってみると、発災直後は、同規模の余震もしくはさらに大きな本震が来るかもしれないという可能性が常につきまとう以上、安全確保を最優先せざるを得ず、情報収集のために動くことさえままならないというのが実際のところである。とはいえ、今回は電話は不通であったがネット環境はほぼ無傷であったこともあり、かなり早期に動き出せたと思う。)
余震が続く中の、発災2日目。
社会福祉協議会が立ち上げたボランティアセンターと連携しながら被災者支援を行うことが中心となる。
茨木市では、高齢者や要支援世帯に対して、民生委員さんを中心に、ボランティアのニーズを確認してまわり、それを受けてボランティアセンターから、登録ボランティアが倒れた家具の片付けなどに派遣されるという体制がとられた。
青年会議所メンバーも、動ける者はボランティアセンターに待機し、出動した。少なくない学生ボランティアも登録してくれにきたが、支援の必要な家庭までの移動手段がなく、青年会議所メンバーの車に乗り合わせて行くなどの方法を取らざる得ず、課題が浮き彫りとなった。
また、午後からは、ブロック協議会を通じた物資支援要請を受けて、早速、近隣の青年会議所から、ブルーシートや土嚢袋が届けられ、これをボランティアセンターと共有した。
この日の夜から断続的に雨が降り出し、瓦が落ちた屋根は非常に危険な状態となりつつあるため、ブルーシートを屋根にかけていくことが喫緊の課題となるが、屋根に登っての作業をできる人数が絶対的に足りないという問題が横たわったまま、2日目の日は暮れていった。
発災3日目
この日も朝から動ける青年会議所メンバーはボランティアセンターに待機し、支援要請がくれば出動するという体制をとることになったが、自分の事業者や家の片付けを終えたメンバーがかなり参加してくれたため、ボランティアセンターでメンバーがたぶつくという状況も出るようになった。
そこで執行部がまちを巡回し、課題を探索したところ、
大阪ガスがガスコンロとボンベを配布している市民体育館の特設会場が人手が全く足りない状況であることが判明し、8名程度のメンバーを振り向け作業を手伝うこととなった。
★ここでは大阪ガスとボランティアセンターの連携不足という問題があったように思われる。
★このガスコンロ配布にあたっては、どれほどの市民が来るかを把握することが難しく、途中から整理券配布方式に変更したことがコールセンターに伝わっておらず誤ったアナウンスがされるなどの混乱があったようで、現場もコントロールが難しい状況が少なからず生じた。
なお、この日も各地の青年会議所から多数の支援物資が送られてきた。
市役所や大阪ガスの配給物資は、どうしても配布に公平性が、強く求められるが、青年会議所の支援物資は、青年会議所の判断で必要な箇所に迅速に投入できるため、関係各所から非常に有り難がられた。
またメンバー一同も全国の同志の強い励ましを感じ、疲れの出てくる時期に、自分達を鼓舞することができた。
感謝に堪えない。
発災4日目
この日は朝から入浴支援を行なっている自衛隊に対してメンバーが供出してくれた大量のシャンプーを市民無償利用のために提供。
理事長は、総理の現地視察にも立ち会う。
この日もボランティアセンターに要請がきた片付け業務を中心とした支援活動が続く。
テレビの取材なども多数ボランティアの現場を訪れるようになってきたのに伴い青年会議所メンバーのメディア露出も増えることに。青年会議所メンバーとしてより一層襟を正しながらボランティア活動に取り組む。
とはいえ、徐々に増えてくるボランティアに対して、被害が出ているはずなのに、ボランティアセンターに支援を求めることができるという情報が市民に行き届いていないという課題が浮き彫りになった。
そこで、急遽、ボランティアセンターの存在を告知するチラシを作成し、ボランティアセンター閉鎖後の17時以降、商店街を中心に配布するとともにSNSを通じてチラシを配布、掲示してくれるよう呼びかけた。
★チラシをつくって配っていいかについてなどは、ボランティアセンターの現場職員に許可を求めても判断を保留されることになりがちなので、そういう場合には、市議会議員等に相談してより上位の判断権者の決済を直接取りに行くようこころがけ迅速に動いていけるよう心がけた。
発災5日目
この日も朝からボランティアセンターで待機し、支援要請があれば出動し、家具の片付けをなどを行なった。また土嚢袋に土を詰めるなどの仕事も
前日のチラシ配りの効果からか、ボランティア要請の数も徐々に増えてきて、ニーズの掘り起こしに手ごたえを感じていたところ、
阪急茨木市周辺の飲食店に前日の夜中、泥棒が入ったというショッキングなニュースが飛び込んできた。
ガスが止まっており、営業できない店が多く、人通りが少なくなっているところを狙っての卑劣極まりない犯行。
早速、夕方の支援告知とボランティア募集のチラシ配りの後、いったん休憩して、夜中の1時から被害店舗のオーナーと共に青年会議所で、夜警を行うことを決定する。
急遽メンバーに伝えたところ、20名以上のメンバーが参加してくれ、またSNSで告知したところ一般市民2名も参加してくれることになった。
約2時間、JR茨木と阪急茨木側に分かれて巡回と声かけを行なった。
★夜警をしてみて、メンバー一同、市民の防犯意識の低さに驚く。シャッターをおろさず帰ってる店舗多数。また、被害事例が出ているにもかかわらず、2時間歩き回ってパトロールパトカーに一度も出会わないという状態にも危機感を抱かざるを得なかった。
なお、この日の夕方には、茨木市、社会福祉協議会、茨木青年会議所、その他ボランティアの四者会議が始めて行われた。
ここでは各団体から市役所になぜ自衛隊にブルーシートかけをお願いできないのかなどの質問と要望、各団体間の連携を一層深めていくことを確認。
発災6日目
土曜日ということもあり、ボランティアセンターには各地から訪れた学生ボランティア多数。
青年会議所メンバーはボランティアを支援現場へ移動する役割を主に担う。
また夜中1時より夜警。昨日の夜警で余りにも無防備な飲食店が多かったことから、急遽防犯ビラを作成し、投函も行う。
この日は、深夜0時ごろ、強い揺れを感じる余震が発生。
少しずつ余震がおさまりつつあり、安心感の出てきたところだっただけに市民の中に再び警戒感が高まる。夜警についても家族のいるメンバーに対しては無理に出てこなくていいと連絡。
余震が続く中での生活に起因する子どもらへの精神的負担など、新たな課題も意識されるようになる。
発災7日目
この日も日曜日ということもあり、ボランティアの人数は十分に確保できるが、ボランティアの運搬手段がないという問題がさらに深刻化。
メンバーに車両と運転要員の協力を要請。
土日の日中なら動けるというメンバーが積極的に参加してくれる。
★全体LINEで常にメンバーの活動状況を共有していると、「2時間だけ時間ができたので、手伝いにいきたい」というような、メンバーの中に少しでもまちのために時間をつくって頑張りたいという意識が醸成されていくのを感じた。執行部の課題としては、このようなメンバーに、適切で満足感の得られる担いを分担させていくこと、もちろんそれが被災者支援として意味のある担いである必要がある。言うは易しであるが、日々刻々と状況が変わる中でその差配を行うのは容易ではない。
この日は、サッカー日本代表の試合があったことから、試合終了後に酔っぱらいの喧嘩などがないかを見回る意味もあり、深夜2時から、夜警。
夜警については市民にもかなり知られるようになり、
夜回りご苦労様という言葉をかなりかけてもらえるようになり、市民の防犯意識の高まりを感じることができた。
なお、茨木JCのFBページでも泥棒注意のチラシの拡散を求めたところ、多数の市民のシェアをいただき、瞬く間に3800人以上にリーチしたというデータがとれている。
市民に正確迅速で有益な情報を告知するという趣旨で、臨機応変に情報発信し続けたことに対する一定の成果といえよう。
なお、夜警については、ガスの全面復旧の目処がついたため、この日で一応の区切りとした。
★夜警については、深夜に行わなければ意味が乏しい反面、メンバーの負担も課題であることから、他の団体等と協力し、最終的には警察へと引き継ぐことが重要だと思われるが、体制ができるまでの間は、まさに先駆けとしての青年会議所の役割を十分発揮できる担いであると感じた。
以上が、発災7日目までの茨木青年会議所の活動備忘録である。
様々な活動に快く協力していただいた多数の皆様に感謝するとともに、物心両面にて惜しみない支援を表明していただいた各地青年会議所のメンバーの皆様にも改めて感謝申し上げます。
また、今回の災害対応にあたって、茨木市役所職員、ボランティア団体関係者、大阪ガス職員など、自身も被災者でありながらも非常にモチベーション高く、24時間体制で被災者支援にあたっていたたくさんの人々の姿をみて、日本人であることを誇らしく思いました。
全ての価値の根源は人にある。
今回の地震を教訓として、今後どのような事業を展開していくべきかについては、これからの検討課題であり、全国の同志と手を携えて次の災害に備えなければならないと想いを強くしています。