僕みたいな欲にまみれた人間がガンジーのことを書くのは全くおこがましいのですが、
リーダーシップとは何か、ということを考えるときに、
コミニケーション能力の重要性が叫ばれる今日において、
その対極的エピソード、あるいは、その究極的エピソードとしてガンジーの塩の行進の話を知っておくことは損にはならないと思います。
ときは1920年代のインド
第一次世界大戦に協力すれば植民地から独立させるというイギリスの約束が反故にされたこともあり、
インドでは独立運動の真っ盛りでした。
イギリスも負けじと、インド国内のヒンドゥー教とイスラム教の対立を利用したりしながら、何とか植民地状態を維持しようとします。
1920年代も後半になると、インドの若手運動家達の間には
インド人同士の不毛な争いはやめて、力を合わせて独立運動をしようという機運が高まってきます。
そしてそのリーダーとして、独立運動を率いてほしいとガンジーに要請します。
ロンドンで弁護士資格をとり、南アフリカで人権運動家として活躍したという実績もさることながら、やはりその厳格かつ寛容な人柄に対して、あのインド全体を巻き込む独立運動を統率できるのはこの人しかいない、というのは衆目の一致するところだったようです。
ところが、あにはからんやガンジーはなかなか首を縦にふりません。
そして、熟考のすえ、
「塩をつくりましょう」
と言いだします。
若手のリーダー達は困惑します。
確かに当時、イギリスによる塩の専売は問題ではありましたが、ことはもはやそういうイギリスの一政策の当否ではなく、インドが国として独立できるかどうかというところまで来ていたのですから。
しかし、ガンジーは頑なに、
「塩をつくりましょう」と言って
海へ向かって行進をはじめます。
アフマダバードから、ダーンディー海岸まで
なんと、386キロメートルにわたる、塩の行進です。
このニュースは瞬く間にインド全体に轟渡ります。
あのガンジーが、炎天下の中、塩を作るために海岸に向かって行進している。
行進の列には次々とインドの独立を願う人たちが加わります。
塩は、人間が生きていく上で必要不可欠なものですが、海水があれば実に簡単につくれるものでもあります。
そして、その塩さえもインドではインド人は作ったり売ったりすることが禁止され、イギリスから買わなければいけないという不平等がまかり通っていたのが当時のインドでした。
こんな不平等な植民地政策がいつまでも続いていいのか、
ガンジーの380キロに及ぶ行進は、インド人の心を強く強く揺さぶりました。
ガンジーが海岸に到着し、一握りの塩を掴んだとき、沿道で圧倒的な歓迎を受けたその隊列は数千人にも膨れ上がっていたと言います。
階級を超えて全てのインド人の魂に訴えかけたこの塩の行進が転機となり
インドの独立運動は、大英帝国によってさえも押さえ込めない炎となっていきます。
オピニオンリーダーとしての、真のリーダシップを僕はここに見ます。
四月から昇進して、リーダシップが求められるポジションについた人も多いのではないでしょうか。
リーダーシップはポジションについてくるものではなく、覚悟についてくるものです。
是非、塩の行進を参考にしてください。
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ガンジーは近代社会の害悪として、弁護士と医師と鉄道をあげています。
ガンジー自身も弁護士だったこともあいまって、そのことはいつも僕ら法曹資格者には重く響きます。