経営理念の話と憲法改正の話

経営理念についての本を読んだりセミナーを受けたり、はたまたお呼ばれして話をしたりしています。

で、僕はいつもできるだけ物事を根本から話すことを心がけているので、

経営理念というのは、作り出すものではなくて、抽出するもんなんですよ。

という話を結構厚くします。

色んなベンチャー企業をみてると、

社長が突然、立派な人のセミナーを聞いてきて感化されカッコいい経営理念を掲げたパターンの会社では経営理念は根付きません。

逆に創業して5年ほどして、とりあえず息もつかずに頑張ってきたけど次のステージにあがるために経営理念を明確化しよう、というコンセプトで、今までの歩みを振り返り、その企業文化の中から経営理念を抽出する会社の経営理念は真柱になります。

これは当たり前の話で、そもそもその会社にある文化を明文化して経営理念にしてるんだから経営理念の根付いた会社になりますよね。

でも、じゃあ経営理念なんてあってもなくても一緒じゃないかということはなくて、やっぱり経営理念があることで自分たちのアイデンティティーが確立されるということは、それぞれの会社がステップアップするためにすごく大事なんです。
例えば色んな場面で意見が分かれた時、判断が難しいとき、最後の拠り所になるのは経営理念です。
新人が組織に馴染むのにも経営理念を理解することは大事な要素です。

経営理念に悩んでる経営者の人は、まずは自分の事業を振り返って、どんな想いで経営してきたか、どんなことを大事にしてきたか、考えてみてください。経営理念の策定はそこから始まります。

で、ここから憲法改正の話。

現行憲法の形成過程には色んな経緯があったわけですが、

それでも70年に渡って国民の大多数からの支持を得てきたのは、

現行憲法のもつ、人権尊重と不戦という理念が、戦後焼き野原の中で、新たな国づくりに臨む多くの国民の想いを的確に抽出し明文化したものだったからだと思います。

もちろん人間の完全性を認めない保守主義の立場からは、時代の変化に合わせて漸進的改革は常に必要だというのは憲法についても例外でなく、時代状況に合わなくなった部分については改正することを躊躇すべきではないです。(その意味で僕は明確に改憲派です。〕

ただ、上で述べたとおり、憲法の理念的部分にまで手をつけようとするのなら、それは一部の『意識の高い』人たちの描くビジョンに依りかかるビジョンではなく、

広く国民の中に共有されている想いを抽出しなければ、仮に様々な政治技術を駆使して改憲が実現したとしても、

そういう国家体制は早晩行き詰まる。

会社なら行き詰っても倒産させればいいかもしれないけれど、

国家体制が行き詰ったときにどれだけの悲劇が起きるかはそんなに遠くない過去に実証されています。

(思えば明治憲法体制は、統帥権の干犯というある種の立憲民主主義と対立する概念がまかり通るという事実上の憲法改正が行われたときから破綻の道を歩み始めたといっても言い過ぎではない。〕

窮地の安倍政権が改憲エネルギーを保てるかは微妙な情勢ですが、いずれにせよ、せっかく多大な政治エネルギーを使って憲法改正するのであれば、もっと根本的な、国家観、基本理念のところでの議論を深めてほしいと思います。

国家百年の計なんてのは死語になりつつありますが。。。

経営者も政治家も、どれだけ長い時間軸で計を図れるかが肝心ではないでしょうか。

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