みんな違ってみんないい

NewsPicksで落合陽一くんの番組をいくつか見てたら多様性についての議論が盛り上がっていたので、いくつか思うことを書きます。

「多様性をアップデートせよ https://newspicks.com/movie-series/6?movieId=204

※ NewsPicksのアプリは起業家の意見交換プラットフォームになってきていて面白いですよ。

さて、多様性について。

最近コーポレートガバナンスの文脈でも多様性確保の議論が喧しいですが、

大事なことは、何のために多様性を高めるのか、ということ。

何のために、の思考なく、ただただ多様性を高めるというのは多様性全体主義で、実は全く逆方向になってしまいます。

人間には色んな個性があります。

人種、性別、宗教、体格、言語、あげだしたらきりがない。

例えばほとんどの場合、大学入学の際にペーパーテストで入試をします。

これはペーパーテストの能力が高いか低いかという個性で切り分けているわけですが、大学という研究機関の性質上、差別ではありません。

バスケットチームの入部テストで身長の高い人が優遇されるのも差別ではありません。

そこに意味があるから。

多様性も同じで、多様性の確保といったときに、

人種の多様性を求めるのか、言語の多様性を求めるのか、宗教の多様性を求めるのか、家庭環境の多様性を求めるのか、経験値の多様性を求めるのか、能力の多様性を求めるのか

色んな切り口の中でどの多様性(切り口は1つじゃなくていい)を求めるのかは、

そのチームが何のために存在するのか、何を目指すのか、によります。ビジョンとミッションですね。

そういうわけで、取締役に女性を入れとけばいいとか、外国人を入れとけばいいなんていう安易なコーポレートガバナンスコードに対しては、結局真に多様な真に個性的な社会への道を閉ざしてしまうことになるので、警鐘を鳴らすべきです。

男女の取締役比率が一緒になったけど、

取締役になるのは、子育てをせず、介護をせず、24時間働き人間みたいな人だけです

というのでは、本末転倒なわけで、

子育てや介護をしてる人でも最大限能力を発揮できる職場を作ろうと頑張りました、他人の個性を尊重し、真に偏見なく能力評価で人事を行う体制を築きました。

結果として、取締役会には20代が3人、50代が2人、40代が2人、そのうち半分は、イスラム教徒で、英語しか喋れない人も3人います。

えっ女性比率ですが、あーえっと調べますね、あ、女性4人もいますね!過半数超えてますね。女性か男性かということで何か意味を持たせたことなかったので調べたことなかったですねー。

という状態が理想やし、そこを目指さないといけないと思います。

こういう発言をすると、女性差別を軽視してると言われることもあるのですが、

女性の差別をなくす、というのは、女性の地位を向上させる、という意味ではなく、無意味な文脈で男女という指標を持ち出さない世の中を作る、ということだと思っています。

そうでなければ差別のターゲットが他に移るだけで、女性差別をなくしたいという人は、そんなこと望んでいないはずだから。

そういう意味では、どこかの医学部の女性減点というのは断じて許されるべきではない。(学部設置免許取り消すべき。)

ごちゃごちゃ言い訳いってたようですが、女性減点を公表していない以上、聞く価値のない言い訳だと思います。

※(女性に限らず)家庭の事情でキャリアが途切れる人の問題や、

(女性に限らず)家庭の事情で夜勤ができない人がいても回せる職場をどう作るかの問題についてはもちろん解決に向けて取り組むべき。

そこに女性という要素を挟み込む意味がない。

要するに、多様性確保というときには、何のためにどんな多様性を確保するのか、という思考をしっかりしましょう、という話。

そして、もう一段階先の話をすれば、

非常に個性的なコンテンツほど、同質性の高い組織が作ってることはよくあります。

僕がよくする竹富島の話。

竹富島に残る昔の琉球の風景は、日本の多様性確保に多大な貢献をしてるんだけど、

竹富島の中では、その風景を残すために、非常に厳しい規制をして、街並みを多様化させないようにしてきたという歴史があります。

同質性批判される日本も、他方でガラパゴス化と言われようが、まさに世界の多様性確保に貢献していて、そのおかげで世界中から観光客が来るという側面もあるわけです。

何のための多様性確保かだけでなく、

どのレベルの多様性確保を目指すのか、

この視点も落としてはいけないなぁと考えています。

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