前の記事では、
「凡そ戦いは正を以って合い、奇を以って勝つ」
という
戦略論の不朽の名著、孫子の言葉を紹介しました。
実は、戦略論での名言で、最近はっとさせられた言葉があるので、それも紹介したいと思います。
戦略論というと、僕らはどうしても将棋の盤面を思い浮かべて、
今どんな手をさすのが最善か
みたいな思考になりがちなんですが、
実は四次元で考えるのが大事だなと最近思っています。
色んな経営者の自伝を読んでると、
もうほんとにどんなに努力しても、色んな流れの中でどうしようもないときってある。
そんなときどう過ごすかでその後のジャンプ力が変わったりするんだけども、そのときはほんともう開き直って潮目が変わるのを待つしかないときというのがある。
こういうのを、時分というらしい。
使われなくなった日本語。
日本の芸能論の真髄を書いた本で、
ビジネス書としても最近注目を集めている、
世阿弥の、風姿花伝という本があります。
そこに、
「また、時分にも恐るべし。
去年盛りあらば、今年は花なかるべきことを知るべし。
時の間にも、男時・女時とてあるべし。
いかにすれども、能にも、よき時あれば、かならず悪しきことまたあるべし。
これ、力なき因果なり」
とあって、さらに
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。
ただ、人ごとに、この時分の花に迷て、やがて花の失するをも知らず」
と書かれています。
時分には、男時と女時がある。
いい時分が来たからといって、時分の花をまことの花と思ってはいけない。
真実の花は時分を越えたところにある。
室町時代に書かれた言葉で、このとき、世阿弥は絶頂期を経て、時の政権に媚びるのを拒んで不遇のときを迎えていたといわれています。
戦略を平面だけでなく、時間軸もいれて考えてみる。
SDGsなんかでサステナブルであることの価値が叫ばれる昨今、
この視点はますます重要になってくるでしょう。
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