プロフェッションの育て方

5月も終盤に差し掛かり、新入社員の皆さんはそろそろ会社に慣れてきたころでしょうか。

どっと疲れがでるころかもしれませんね。

そして、新入社員と同じようにそれを指導する経営者や先輩スタッフの皆さんも、

どっと疲れがでるころですよね。

教えることは教えられることの3倍疲れる、とよくいったもんです。

僕が経営する法律事務所は、設立5年で弁護士6人を含むスタッフ12人にまで膨れ上がっているため、

後輩の士業や、起業家の方から、

スタッフ育成について相談を受けることもちらほらあり、これまで色んな試行錯誤をしてきた話を役に立てればと思って偉そうに話すことにしています。

とはいえ、僕は、スタッフの中で、

士業やキャリアカウンセラー〔うちにはキャリアカウンセラーが1人いるんです。〕

といったプロフェッション〔独立性専門職〕のプロフェッション業務と、

それ以外の業務についての指導法については明確に区別しています。

どう区別しているかというと、

プロフェッション業務については、

たとえ業務開始1日目であっても、

対等なプロフェッションとして接することにしています。

業務の進め方、仕事の取り方について、アドバイスをすることはあっても、命令することはありません。
俺ならこうするよ、という話はしますが、これが正解やからこうしなさいということありません。〔どうしてもというときもありますが。。。〕

なぜなら、プロフェッションの仕事は、最終的には全ての責任を自分が負うべき仕事であり、そのギリギリの人格的判断にこそ、その人の仕事の哲学が凝縮されるからです。

たとえば、

すごく重要な知人からお客さんを紹介されたけど、どうやら採算を割りそうな仕事だ、

というとき、

将来を見通して、採算割れでも仕事を受けるのか

採算割れの仕事を受けるのは、きちんと料金を払ってくれてる人に申し訳ないと断るのか

そこに正解はありません。それぞれの仕事の哲学があるだけです。

専門職として人格を切り売りしていれば、

退くべきか進むべきか、

本当に難しい判断に迫られることはよくあります。最後の最後は自分で決断するしかありません。

そして、この判断の熟練度をあげるには、

実際自分が、色んな人のアドバイスをら聞いた上で、えいやと判断することの積み重ねしかないのです。

国家資格を持つことの意味、先生と呼ばれることの意味を噛みしめながら闘っていくうちに練達していきます。

ある意味では冷たいかもしれませんが、

プロフェッションを育てる上での本当の優しさは、

最終判断を他の人に委ねられる、という甘さを1日でも早く取り除いてあげることだと思います。

もちろん、しっかりと見守りながらね。
見守りの名の下に放置されるというのでは救いがない。

そこのバランス感覚こそがプロフェッションの指導者に求められる胆力だと思います。

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